「感動する作品と出会う確率」
知らない町の知らない路地を歩き角を曲がった所で出会い感動するような作品を出会いたいと思いながら美術館やギャラリーを回る時がある。
美術館では数回に1回の確率で、ギャラリーでは数十回に1回あるか無いかの確率で出会う。
現代美術は特に「成果」そのものより「過程」を重視する事が多いが、鑑賞者としては根拠も無く「凄い」と感動したい気持ちがいつもある。
理屈っぽいものでは無く、ただ凄いと思うものに出会いたい。
少しずつ謎を解き明かして行くような作品も面白いと言えば面白いが「アートで無くてもいいのでは?」と逆に感じる事の方が多い。
アートは本当に多様化しているのだろうか?
本当は多様化していないのではないかと感じる事も多い。
田舎の田園風景を見ているとアートっていらないなと感じる。
町おこし(昔は村おこし)でアートプロジェクトが盛んに行われているが、「誰にとって必要なもの?」という疑問が起こる。
田舎に若い人が集まればアートより昔からある祭りを盛り上げる方がそこに住んでいる人の為になる気もする。
都会ではあまりの多くの情報があり生き方、考え方に迷う人達も多いだろう。
そういう場所では今でいう多様性のアートは必要なのかもしれない。
アート(作品)によっては考え方などの自分の価値観を変える一つのヒントにもなる可能性もあるから。
「アート」=「祭り」では無い。
「アート」は「アート」で「祭り」は「祭り」
根拠も無く感動する「アート」と出会いたい。